正月、豆まき

正月、豆まき等。そんな人手が多い時期を外したとしても、さすがは、参拝者の多さでは日本で5指に入るという寺院。何時行ってもヒトゴミでごった返しています。なのですが、今回は早朝。さすがに、空いていた。 だだっ広い境内にヒトが少ないというのも、その場所の空間的な広がりが強調され、その空間に何かしらの神がかり的なものが宿る・・ということを感じたり、感じ続けたりされたことが少しだけわかるような気がしないでもなかった。 また、そうはいっても眠そうな坊さんがいたり、ネコやらが横切ったりするとそれもなかなかほのぼのとしてよかったです。 そして、今回の主たる目的。お札を返す。 ・・を遂行するため、お札を返す、場所へ行ったのですが、そこで、凄いマシーンを目にしました。それは 「お札引取りベルトコンベアー」 その場所は祠のようなものがあり、手前に賽銭箱が設置され。それら二つの間にある2m四方の空間に札を置くのですが、そのスペース。なんとコンベアーになっていおり、札をおくと感知し、動き出し、お札を吸い込んでいく。 なかなかハイテクノロジーな時代になったもんです。 そりゃあ、上野→成田が1時間以内でいけるようになるわけだ。

7月20日生まれのヒト

7月20日生まれのヒトがどれくらいこの国にいるのかは不明なのですが、2010年6月1日現在の日本の人口が1,273,862,036,535人(by総務省統計局)。3,490,032,977人が7月20日生まれということになります。 その人たちにとっては大変残念な話なのですが、数年前に導入されたハッピーだかラッキーだかマンデーという制度のお陰で、誕生日が祝日ではなくなりました。 そんな『海の日』 お子様的には夏休みに併合されている感があり実感が湧かない。また、暑い季節で、海山へお出かけし、暑い思いをして→こんなんなら涼しい部屋で仕事をしていたほうがいいよ。 という理由で、ヒトによってはありがたくもなかったりする。 そんなこんなでわりとぞんざいに扱われている休日なのですが、実は由緒正しい祝日だったりします。 由来としては 『明治時代』に 『明治天皇』が 『明治丸』という船に乗ったからというエピソードに基づいているんだとか。 その頃、恐らく、明治維新の内戦で特に甚大な被害を被った東北地方を明治天皇が御幸行されたらしいのですが。その帰りに「船で帰る」とおもしべしになったらしく、明治丸で横浜まで帰ってきた。そして横浜に到着したのが、7月20日。ということなんだそうです。 南米には海もないのに海の日が制定されているボリビアという国があって、それは、130年前に戦争で負けてとられた海に接する領土を「いつか取り返していやる!」という決意を新たにする記念日だったりします。 そういった抜き差しならない事情を含む記念日に比べれば、日本の海の日はなんと平和な祝日。

聴衆をとにかく集めるため

お客さんや聴衆をとにかく集めるために執り行う派手なパフォーマンスなり、モノなりのことを「客寄せパンダ」と言います。 パンダになったヒトにも失礼なら、それで寄せられるお客や聴衆に対しても失礼。 なのですが、そういった無礼でシュールな要素が混ざっているほど、笑欲は横腹をつつかれたようにくすぐられてしまいます。 それはさておき、上野にパンダがやってくるのが2月に決定したそうです。 上野公園へ行くとそこらかしこに動物園の看板が設置されています。 そしてそれらの多くには動物のイラストがかかれ、また、その殆んどにはパンダの絵が描かれています。 「だまされた!」 と思うのが子供だから、問題にならないのかもしれないのですが、立派な景表法違反(優良誤認)、というより詐欺。この手の虚偽広告で訴えられないのは、動物園とストリップくらい。そういえばその昔、N船橋に伝説のストリップ小屋があり 「つに解禁!女子高生ストリッパー!」 なるお題目のショーをやっていたそうです。 が、実施出てきたのは女子高生と呼ばれた時代があったとしてもそれはし半世紀以上前であろうお姉さまだった・・ などという話をこれまた伝説のM氏という大先生から聞いたことがあります。

書く..という作業

書く..という作業。おそらく嫌いではないのだろう。ひとはきっとアウトプットするのが大好きで、褒めて貰いたい、までいかずとも誰かしらに意識してもらいたい。が、なんとなくそれをむき出しにするとスマートではないし、やりすぎると子供みたくなってしまうので、仕事やらブログやらにかこつけては、体裁を取り繕ったりもする。が、バンバン書いて、バンバンはき出しているうちに、そのうち空しくなる。こんなことやってて意味あんのだろうか...という感じ。が、仕事やSNSの場合、概ね気づいたときは手遅れで、そこをグルグル回すことが、生活や人付き合いの基盤になっていたりする。まあ、だったら、上手くなるしかないっすね、書いた文章を自分で附にとせるくらいに。 ということで、上手くなるため、ちゃんとしたことをやろうと決意した。が、具体的な方法...というのが浮かばない。ユーキャンとかでそんな講座があんのか?さすがに著名な文筆家に住み込みで弟子入りするという、昭和チックで漫画チックメゾットは無しで、編集関係の仕事に転職する、というのも無理な気がする。外国語作文なら添削SNSというのがあるが、日本人が書いた文章を日本人が添削する、というSNSがあるのだろうか。いやねえな。

金儲けの話

熊谷が埼玉県というのは、ほぼ説明の必要もないのだが、熊谷というのは広く、昨日行った場所といのが、川一本(渡良瀬川)渡る、栃木県(太田市)というロケーションだった。知り合いがその修復に携わっていた文化財というのを久しぶりに観に行ったのだが、丁度、前日、その場所でお祭りがあったらしく、また北関東といえば、抜き差しならないお祭りテンション、ということもあり、それなりの覚悟(道が混むなどに対して)をしていったのだが、それほど混んでおらず、というより、賑わってもいなかった。その昔、修復中に訪ねた時は、なんとなく無料で見せててもらったのだが、今回は700円を払って拝観。さすがお金を徴収して、また後でお金を徴収するこになるだろうくらい、心魂込めてリペアしただけあり、なかなかのコンテンツだった。 観覧中、違う知り合いから電話がかかってきて、会話は観覧の雰囲気を害すると、人気のいない場所に一時避難して話たのだが、その場所はマライア蚊的に脅威な蚊が寄って来ては刺されまくった。だいたいが文化財というのは人里離れた場所にある。30分くらいは話ていただろうか。なかなか、通話を終了することが難しい相手でしかも、首都圏から電車バスを2時間くらい乗り継いでやってきた、価値ある建造物の前で、話していたのは、あろうことか金儲けの話。神仏を信用するタチではないが、なんとなくバチ当たりな気がし、後ろめたかった。

無知なひとたちと考え方

スマートフォンはとても便利な道具である。

でも「私機械音痴だから~」など、ある程度わかっている人でも
メディア操作というものだろうか、

電磁波で悪性の発がん性との因果関係が認められた。

統計でも小学生にスマホ、携帯電話が、使っていない子に比べてて
成績が悪かったこと。

「たばこ」はやめろと言う人はいても、「スマホ」をやめろと言う人は聞かない。

おいらにしてみると、たばこもスマホもやめなくてもいいんだよ。と伝えたい。

火をおこすのにマッチで、ライターで火をおこしたり、
危ない事もしたらいい。

危ないからやめさせるの考え方は間違っている。

危ないからどうやったら便利に使えるのか、どうやったら危なくないのか。

考え方を変える必要のある人は大勢いそうだ。

 

 

やはり人には触れないが一番

傷つけてしまうなら

傷ついてしまうなら

触れないで居よう




それが、いちばんじゃないか





誰も傷つかずに済む



ぼくは人とは交われない


なぜ
どおして

ぼくには感情があって

そんな感情やエゴばかりの人間なのだろう



植物に虫になって

一生懸命に


生きてたい



自然を感じて自然の原理で
生きてたい

風を感じ匂いを感じ

神経の赴くままに


ただ生きていたい



醜いものにはまみれたくない