立場が違えば正しさも違う

たくさん本を読めば、どれが嘘かなんとなくわかるのだが、 特定分野の本を一冊読んだだけではわからない。 だから入門本を一冊だけ読むということは、 その筆者の意見を鵜呑みにすることと同じである。 どの本でもポジショントークがなされている。 穏健派なら穏健な思想しか紹介しないし、 過激派なら過激な思想がよしとされる。 例えば投資本で、一棟マンション投資が正しいと思っている筆者なら、 ワンルームマンション投資をこき下ろす。デメリットばかりあげつらう。 もし作者がワンルームマンション投資を正しいと思っていれば逆になるのだ。 それだけの話である。 結局、立場が違えば正しさも違う。 本を書く時点で既にどこかの地点に立っていて、 そこから見える価値観が書かれているのである。

教科書ですらそうである。 例えばバートランド・ラッセルの『西洋哲学史』にはハイデガーが載ってない。 それはラッセルにとってハイデガー哲学は哲学でないからである。 教科書でこうなのだから、巷に流布している本なら当然にそうなのだ。 一方的な立場から書かれている。 投資本におけるメリットやデメリットも一方的な断定でしかない。 また、本を読むことは心理学的な術中にはまっているとも言える。 「AとBのどちらがいいですか?」 と問われれば、我々はどちらか選ばなければならないと思ってしまう。 しかし現実ではCやDが正解だったりする。 あるいは正解がなかったりするのだ。