脳に騙されてる気がするw

心の哲学でいう「私」とは
さすがに最難問であるという話どうり困難な話だ

まいっちゃったよ もーw

この問題で 一番の資料は自分だ
「おれはなぜこの出来事についてこう感じるのか?」
一つ一つの感情を自分で問い詰める
おれは多分
様々な事柄をごまかし自らを正当化して
それを自分の意識だと思い込んでいる

よーな気がするw

しかし そこで出た答えも
そういう正当化のプロセスを経たものであって
絶対的な基準点はない

要するに 純粋な自意識というものは存在しないのかもしれない

全てはニューロンの反応であるという事実は厳然として存在する
ただ ニューロンに対する電気的信号は膨大な処理数で
その複合的な作用が意識を生み出す
ただ指先をぶつけた痛みというような
一見単純な反応も
おそらくは過去の経験から 指のイメージから
それに対する反省や傷の有無や 
同じ傷を受けた治り具合や その思い出や
そこから来る ありとあらゆる「社会的」な記憶や予測が
極めて短時間の間
おそらくニューロンの反応時間である0.2秒ほどの間に「指をぶつけた」という意識を作り上げる
ただそれは
単に痛みだけではない
「どう痛いか」であり
「その痛みが何をもたらすか」でもあり
「大騒ぎするのは恥ずかしい」でもあり
「仕事を休まなければならないかもしれない」であるかもしれない
その複合が意識だ
そして多分
人が想像するより はるかに膨大なデータに支えられている

そのデーターという社会性が
おれに意識を改ざんさせる
というか 脳が本当の反応を改ざんしておれに見せる