名作

 読書ということをしていると、この作品を読んだおかげで、物事や人に対する自分の見方、考え方が大きく変わったと感じることが、時々あるものです。
 自分にとっては、トルストイの『戦争と平和』がそうでした。この作品によって、父に対する自分の見方、考え方は大きく変わったといえます。
 父は、子どもの私にとっては、いい父親だったのですが、母に対しては(亭主関白的に)厳しいところがあり、子どもの目にも母がかわいそうに見えて、生意気盛りの高校生の頃には、父に批判的になり始めていました。それでなくても、男の子が男親と対立し口もきかなくなるといった話はよく聞きます。
 自分もそうなりかけたとき、運良く『戦争と平和』に巡り会うことができました。作中、ちょっと父に似た人物が登場し、その人物の過剰なまでの厳しさが必ずしもマイナスにばかりなるわけではないということが説得力ある筆致で描かれていたのです。
 流石、文豪というのか、人間観察に非常に鋭いところがあるのです。現に、一番の被害者ともいえる母自身が、父の死後、10年以上経った今では、あの厳しさは必要だったという趣旨のことをたびたび漏らします(「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということもあるのかもしれませんが)。
 こうした体験は、『戦争と平和』を読んだことがある人は、少なからず経験したことがあるのではないかと思います。
 何しろ、『戦争と平和』の登場人物は500人以上もおり(と言っても、主要な登場人物は十数名にとどまりますが)、日常接している人に似ている人をその中に見出すことも困難ではないからです。しかも、そのどれもが、決してステレオタイプには描かれていないので、自分がそれまでリアルで接した人を見ていたのとは異なる視点を提示されることが多いと思われます。
 世界文学の傑作としてこの一作は欠かせないというほどの名作になっているのも頷けます。
 とはいえ、『戦争と平和』を読むのは、ハードルが高いと感じる人は多いことでしょう。長いし、難しそうだし。
 ただ、ウディ・アレンはこんなことを言ってます。

 私は速読のクラスを取り、『戦争と平和』を20分で読んだ。ロシアについて書いてあったと思う。

 こんな程度でもいいのです。少しハードルが低く感じられませんか? 無理か(笑)。
 でも、難しいとはいっても、芥川賞受賞作の一部(というか大部分)より理解しやすいように思います。何しろ、高校生の私が読めたくらいなのですから。
 それに、今はどうなのか正確なことは分かりませんが、少なくとも2、30年前までは、日本くらいロシア文学が翻訳されている国は他にないと云われてました。このことは、意外かもしれませんが、それだけロシア人のものの考え方、心情に共感できるものを多くの日本人が感じていたということだと思います。

 まだ、しばらくは残暑で暑い日もあるかもしれませんが、今度の読書の秋は、『戦争と平和』に挑戦されてはいかがでしょうか。

 今日は、トルストイの189回目の誕生日です。