今の東京の繁栄

朝になればまた会社という地獄へ向かう行進が始まる。 整然と列をなし、列は駅へと続き、皆が電車に乗り込む。 電車をいくつも乗り継いで、都心へと近づく。 渦に吸い込まれるように東京の中心部へ人が集まる。 必要以上に体は密着し、それなのに心は誰とも繋がっていない。 都心部の駅へ降りたら、サラリーマンたちはそれぞれの地獄へ行く。 うなだれ、諦め、虚ろな目で自分のオフィスへ赴くのだ。 ランチタイムには僅かな開放感。しかしそんなものは気休めだ。 夕方が近づき、夜になって解放されるまで気は抜けない。

どんな地獄にも終わりはあり、 終業時刻を過ぎて解放されるサラリーマンたち。 今日も明日も、労働で得るものは何もない。 月に一度の給与のため、全てを捧げる殉教者になる。 それ以外に手にするのは疲労感のみ。 心地よい疲労感は根拠のない達成感を生むが、 その実、達成感を得ただけで生活は何も変わらない。 そして今日も「ぶすパンダ」に寄り、 この終わりなき悪夢を薄めるために酒を飲むのだ。 このような暮らしを40年くらい続け、そして死ぬ。 それが都会のサラリーマンの運命である。 東京は華やかな場所であるが、その裏では彼らの生活が犠牲になっている。 生活が犠牲になるとは、人生が犠牲になるということである。 人生が犠牲になるとは、命が犠牲になるということである。 たくさんの命の犠牲の上に、今の東京の繁栄がある。